信じて 委ねる

不妊治療や夫婦関係、仕事、人生について綴ります

2020年 買って良かったモノ、やって良かったコト

明けましておめでとうございます。

 

2020年の大晦日は紅白を見ながら過ごした。普段テレビをほとんど見ない生活なので初めて見るアーティストがたくさんいたが、みんな凄いの一言に尽きる。

売れるためにしてきた数々の努力、どんなに疲れていても眠くてもしんどくても笑顔で歌って踊る気力と精神力。心の中では何を思っているか分からないが、自分に与えられたミッションを全力でこなすその姿に励まされながらとても楽しく鑑賞した。

 

個人的には氷川きよしの突き抜けた感じと、玉置浩二の圧倒的歌唱力とオーラが今でも忘れられない。

 

本来は年が変わる前に書くべき内容かもしれないが、ふと思いついたので

『2020年 買って良かったモノ、やって良かったコト』

を綴ってみようと思う。(お題「#買って良かった2020 」)

 

 

artis メイクブラシ

 

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これはイイ。ファンデーションを顔にちょんちょんと乗せてブラシで軽く広げると、サラサラしたツヤ肌が簡単に仕上がる。これを使えば誰でも女優肌になれるのではないか。高いファンデーションを使うより良いブラシを使った方がいい…と思わせてくれる逸品。女である喜びを感じさせてくれた。

 

オフィスチェア(オカムラ サブリナ)

 

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長時間机に向かうのにイスが違うだけでこんなに疲れ方が変わるのか…と驚いた。難関資格試験に合格した人のインタビューで長時間勉強する秘訣は?との質問に対し「いいイスを使うこと」と答えていたのを読んで購入したが、これはいい買い物だった。将来仕事を始めてからもずっと使っていきたい。

 

ムートンスリッパ(ブーツタイプ)

 

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とにかく温かい。家の中でずっと履いている。冷え性とは無縁。足元が温かいとこうも幸せな気持ちになるのか…と思える。

 

無印良品 ボアフリールームソックス

 

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上記のムートンスリッパとの組み合わせが最強。

 

よもぎ蒸し

 

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自宅でできるよもぎ蒸しセット。大きいので収納スペースが必要だが、それを差し引いても恩恵が大きすぎる。元々生理痛が重いタイプではないが、これを始めてからは「皆無」になった。お通じも良くなるし肌のキメも整う。体調がイマイチな人にはとりあえずよもぎ蒸しやってみれば!と言いたくなる。

サウナは苦手だがこれは続いている。

 

ヨガ

毎日夜22時から20分間、おやすみ前のリラックスヨガをやっている先生を見つけ、毎晩zoomで参加している。ヨガをやるようになって寝つきが良くなり、『呼吸し自分にフォーカスする』練習が毎日できるのが何よりも有難い。しかも月2000円というお手頃価格。美しく人柄も素敵な先生なので、見ていて目の保養にもなる。

 

オステオパシー

整体とも整骨とも違う、手技療法。体全体を1つのユニットとしてとらえ、自然治癒力を取り戻し、『寝れば回復する』心身を作る。説明が非常に難しく、調べても明言はされていないが、エネルギー整体だと捉えている。アメリカではメジャーな療法のようだが日本ではマイナーなジャンルである。

妊活のために通い始めたが、効果がありすぎて『オステオパシーに出会ってなかったらこの先どうなっていたんだ…』と思うレベル。一番嬉しいのが慢性的な神経痛がなくなったこと。痛みのない生活が手に入った。それと呼吸が深くできるようになった。毎日のヨガで『吸う』が得意ではなく、詰まる感じがしていたのだが深く長く吸えるようになった。オステオパシーがあまりに良すぎて家でプレゼンしまくっていたら、懐疑的で全く興味なかった夫も通い始めた。もっともっとメジャーになってほしい。

 

体外受精

ゆるゆると「いつか出来たらいいな」と思いながらも積極的な治療はしていなかったが、ある日の夫からの突然の提案により始まった体外受精への取り組み。微塵も考えていなかったのでまさにサプライズであったが、行くべき方向に舵を切った感覚がありその選択はブラボーだったと思う。よくわからないがクリニックに通うのがとても楽しい。2021年、結果が出てさらに「あれは本当にブラボーな決断だった!」と言えるように前向きに粛々とこなしていきたい。

 

 

 

2021年はどんなことが起こるのか、どんなことをやっていくのか、楽しみに待ちながら日々を過ごしていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分にLINEする

「できたこと日記をつけてみるのはどうですか」

 

思ってもいない方向から思ってもいない言葉が飛んできて、返答につまる。

 

この言葉の発信者は、某資格予備校のチューター。

私はとある資格試験の受験をするためにこの予備校の講座を受講しており、都度都度何かあるとこのチューターに相談をしている。

 

流れに任せていたら、受験生という身分であるにも関わらず不妊治療にも並行して取り組んでいるというなんとも両立しなさそうな環境に、気づいたら身を置いていた。

 

今回初めて体外受精の移植をしてからというものの、どうにもソワソワして気分が落ち着かず、頭もフワフワ気持ちも定まらない状態であれよあれよとボンヤリ過ごしていたらあっという間に判定日の2週間後になってしまった。結果は前回のブログに書いた通りだが、一区切りついたところで「あ、2週間全く勉強していない」と気づいた次第である。

 

いや、正確に言うと勉強していないことに当然気づいてはいたのだが、「妊娠してるかもしれないし無理はいけないよね」と半ば妊婦になった気分に浸り自分を甘やかし現実から目を背けた2週間でもあった。そうしている間にも週3コマの授業は淡々と進み、試験日は着実に近づいている。

 

だが、毎日勉強を継続する面倒くささから逃げるいい口実を失ってしまったこのタイミング。本当にこのまま逃げてしまっていいのか。改めて自分に問うた。

 

そこで出てきたのは、「やっぱりその仕事がしたい」という純粋な気持ちだった。その資格は合格率3%の難関モノであり、正直受験を決めた動機は胸を張って威張れるようなものではない。「すごいと言われたい」「親や周りを見返したい」「社会的に地位の高い仕事をしたい」という気持ちが強かったのが本音。

 

そんな動機だったため、膨大な勉強量に圧倒され情熱の炎を燃やし続けることが難しく、なんとか講義についていく状態だった。

そこに不妊治療という要素が入ってきた暁には、堂々とサボれる大義名分としてちょうど良くハマってしまったのだ。

 

このままでは全て中途半端になってしまい逃げ癖がついてしまう。本能で自分からのSOSを感じていた中で出てきたのが前述の「その仕事がやりたい」だった。詳細は避けるが、それをやるためにこれまでの自分の人生があったのではないかと思うくらいの衝撃が走った出来事が起こったのだ。陰性判定を受けたクリニックを後にした直後に入ったドトールで。もう腹をくくってやるしかない、それ以外に私の進むべき道はない、と腹落ちしてしまったのだ。

 

そんな昨日から一夜明けた今日。

 

2週間の間一度もテキストを開いていないという状況は受験生にとって非常に恐ろしいことであり、今までやってきた知識は日増しに抜けていく一方。「あなたならできますよ、大丈夫」という言葉をかけてもらいたい一心で、予備校のチューターに電話で相談をした。

 

そこで出てきたのが冒頭の言葉である。もはや受験勉強を乗り切るだけのものではなく人生訓である。

 

「あなたはできないことばかりにフォーカスをして自分を追い込む癖がある。自分が思っている以上に達成感を味わっていいんですよ。」

 

100%おっしゃる通りで、開いた口がふさがらなかった。その言葉がとても温かく、胸の奥までじんわりと響いた。

 

そうか、達成感を味わっていいんだ。。

 

闇雲に勉強を再開する前に、自分の棚卸しをすることにした。お気に入りのカフェに行きお気に入りの手帳を開く。今まで移植後の体調変化を毎日記していた手帳。新しいページに、「できたこと」と書き込む。小学生時代から今に至るまでにできたことを書き記していく。思えば、積み上げてきた過去の経験値を振り返ったことはなかった。写真を見るようにふと思い出すことはあっても、もう過ぎたことであり「頑張ったな」「成長したな」と達成感を感じたことがなかった。

よく、男性の過去の恋愛経験は上書きされていくが女性は削除し新しいページに書き込んでいく、という例え話があるがまさにそんな感じ。過ぎたことは一瞬にして通り過ぎ、帳消しにしている感覚。次!次!と常に何かに追われており「もっと頑張らなければ…もっと…!」と日々繰り返す。

 

そんな生き方は疲れるし、いつまでも自分を肯定できないままだということに気づいた。もしや「できたこと日記」の効能は果てしないのではないか…?

 

次に「資格を取りたい理由」を羅列した。その仕事に就いて困った人を助けているビジョンが浮かんだ。もちろん高尚ではない理由も書いた。だってこれは誰に見せるでもない自分だけの本心を綴る手帳なのだから。

 

続いて「勉強が苦しい理由」とその「解決方法」。

解決方法はいくつも出てきたが、

『未消化の承認欲求は自分で満たしてあげる』

と書かれている。そうか、「頑張ったね」「えらいね」「すごいじゃん」と、自分で自分に言ってあげればいいのか。

 

幼少期、劣悪な家庭環境で育った影響をまだ引きずっていた。「お前は平凡で無能なつまらない人間だ」と言われて育った。ここに至るまでに散々向き合ってきたつもりだったが、どうやらまだまだ根は深そうだ。

 

と、その時LINEの通知。開くと友人からだったが、ペンギンが自己肯定感を上げてくれるような言葉を言ってくれるスタンプが届いた。そこでふと思いついた。

 

「自分にこのペンギンのスタンプを送りたい」

 

調べると自分だけのグループを作成すれば自分だけにメッセージやスタンプを送ることのできる機能があるではないか。

 

「だいじょうぶ!!」

「生きててえらい…!」

「だいすき〜」

 

あぁ…これはずっと言われたかった言葉だ。求めても求めても決して与えられなかった言葉。ずっとこの枯渇した気持ちを抱えながら生きていくのだと思っていたが、自分で自分に言えば良かったのだ。

 

グループ名は『できたこと日記』にした。ここに毎日できたことを書き込んでいこう。その時の素直な気持ちを綴ろう。そして「よく頑張ったね」「えらいよ」というスタンプを送り続けよう。自分で自分を守ってあげよう。

 

カフェから出た足取りは軽かった。カフェの前の電気屋で勉強用のデスクライトを買った。

 

きっと、大丈夫。私は大丈夫。

 

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尿検査に祈った日

「・・・残念ながら反応が出ていません」

 

名前を呼ばれて院長室に入った私の目に飛び込んできたのは、机の上に置かれた検査薬。

私の名前が書かれたその検査薬には赤い線が一本しか入っていない。

未だかつて見たことのない、『陽性』を示す二本のライン。

 

この日を何度も何度もシミュレーションしてきた。夜眠るとき、布団に入ったらまずすること。

院長に呼ばれ、「おめでとうございます。妊娠していますよ。」と告知され、二本のラインが入った妊娠検査薬を渡される。喜びで胸が高鳴り歓喜に包まれ、でも頭の一部はどこか冷静でこの先の段取りを考え始める。そんな練習を何度も繰り返してきた。

 

今までよくこの「未来の先取り」方式で願いを実現してきた。

小さいところではゲームセンターのUFOキャッチャー。狙った獲物を獲得して喜ぶ姿を想像しクレーンを動かす。

大きなところでは結婚や資格試験。理想の伴侶と結婚をし生活している姿や、資格試験に合格し合格者インタビューを受けている姿を想像し現実を動かす。

「ない」ことにフォーカスするのではなく、願いが叶った状態に自分を置く、という一時期流行った引き寄せの法則のようなものだ。大抵のことはこれで乗り切ってきた人生だと自負している。

 

(・・・やっぱりな)

 

残念そうに眉をしかめる院長の説明を聞きながら、まず頭に浮かんだのはこの言葉だった。毎晩妊娠した状態をシミュレーションしながらも、どこかで「私に妊娠などできるのだろうか」と可能性を信じきれていない自分を認識していたからだ。うわべで良い未来を想像したところで、潜在意識でそれと真逆の信念を握りしめていたら叶うものも叶わない。当然の話だ。

 

院長は丁寧に今回ダメだった原因を見つけようとしている。

受精卵の状態は悪くなかった、ホルモン薬も実績が出ている方法で処方している、子宮内膜の厚さも十分だった・・・

ただ、30代後半になると受精卵の半分は質が悪いものであり40代になると半数は育たないものだと考えた方がいい、だから年齢が上がるにつれて妊娠率が下がっていく。

そうすると数をやっていくしかない。というなんとも納得できる説明をしてくれた。

 

妊娠は生命の神秘であり神のみぞ知る未知の領域であるが、どうも受け皿側の準備が整った状態でないと成立しないのではないかという気がしてならない。

もちろんそうでない場合も多々あると思うが、自分に当てはめて考えるとそう思うのだ。身体の準備はもちろんのこと、心の準備の必要性が占める割合は大きいのではないか。心の準備、の中には色々なものがあるがそのうちの一つが「可能性を信じることができるか」ということだと考えている。

 

自分に妊娠出産する力があると信じること

責任を持って人間性豊かに育てること

子を一人の人格を持つ存在として意志を尊重すること

人生を謳歌し楽しむこと

 

少々大げさかもしれないが、自分と子と周りの人たちの可能性を信じることがまず第一歩なのではないかと思う。

 

何よりトツキトウカ胎(はら)の中で育み一体となって過ごすのだから、母体が母体の可能性を信じることがとても大切なのではないか。

 

栄養をとりたくさん寝て精神を健やかに保つということは当然に継続するとして、まだ見ぬ子をこの世に生み出すためにこの言葉をスローガンとして掲げる。

 

信じて 委ねる

 

次の移植は年明け。受精卵はあと三つある。

 

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